V・ファーレン長崎は、その夢をJリーグ参入5年目の2017年に達成した。同年に発覚した経営不振によるクラブ存続の危機から一転してのJ1昇格は奇跡と呼ばれた。それは間違いなくクラブの、そしてJリーグの歴史に色濃く残る出来事だろう。
だが長崎にとって、その後に影響を与えたという意味では、昇格の喜びよりも、J1を戦った経験とJ2降格を味わった悔しさのほうが重要だ。
惜しくも残留を果たせなかったものの、全力を尽くし最後まで食い下がったJ1での戦いを経たことで、長崎にとってJ1という舞台が夢から現実的な目標に変わっていった。現在地を図る時の基準も、常にJ1での戦いを意識するようになった。『J1昇格を夢見るクラブ』から『さらに先を見据えるクラブ』へと進化したのだ。
高木琢也監督(現・大宮監督)に率いられ、13年、15年には二度、J1参入プレーオフに進出したが、当時の関係者にとって、J1での戦いは現実的にイメージできるものではなかった。どちらかと言えば、考えていたのは昇格までで、昇格後までは見据えていなかったのだ。
それも当然だろう、強化予算はJ2でも中位以下で、シーズンオフには毎年のように主力を引き抜かれていたチームだ。この時点でJ1昇格はあくまで「将来叶えたい夢」でしかなかったのも無理はない。
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April 26, 2020 at 06:13PM
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J1はもう夢の舞台ではない――V・ファーレン長崎の基準を押し上げた2018年の苦闘 - サッカーダイジェストWeb
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