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「もういいや」期待したゼミに失望…決定打になった同級生の一言 - 西日本新聞

放送作家・海老原靖芳さん聞き書き連載(20)

 私が青山学院大経済学部で公害をテーマにしたゼミを選んだのは、ある研究者と写真家の影響でした。

 1970年代、水俣病の原因が「分からない」とされた時代、原因究明の調査結果を次々に発表し、埋もれていた水俣病被害を世界に伝えた宇井純。水俣病の実態を伝えた20世紀を代表する米国出身の写真家ユージン・スミス。

 ゼミでは公害問題の解決策や、社会から置き去りにされた被害者をどう救済するかを活発に討論するものだと思っていました。

 ところが、考えていたものとは正反対。どうやら担当教授は御用学者のようでした。「経済発展のために公害は必ず発生するもの」と捉え「だから、しょうがない」に帰結します。違和感を抱きました。「公害から目を背けず、われわれ若い人が関心を持つことが大事だ」と考えていただけに残念でした。

 私を除くゼミ生も、教授に同調するようでした。もしかしたら、ゼミの単位を取らなければと、嫌々受けている学生がいたかもしれません。多くはネクタイを締めた優等生たち。長髪にひげを生やしたヒッピーのような格好で、げたを履いて登校していた私は明らかに浮いていました。

 新潟水俣病の民事訴訟に補佐人として加わった宇井は「行動する学者」として知られています。神田や高田馬場の古書店で探した宇井の「公害の政治学」をむさぼるように読みました。

 ユージン・スミスは熊本県水俣市に住み込み、患者や家族らの日常にカメラを向け、その実相を作品写真集「水俣」で世界に発信しました。彼らほどの活躍はできるはずはない。でも知る必要はある。

 公害はしょうがないって雰囲気のゼミに私は失望しました。決定打となったのは、水俣病をテーマにした授業でのこと。あるゼミ生が「患者になりたくないなら、水俣から引っ越せばいいじゃないか」と。この発言は許せませんでした。

 私は聖人君子ではありません。普通の人間です。しかし70年代、日本が経済成長する陰で、置き去りにされた公害に無関心でいられる人はいますか。知らないでは済まされない。水俣病の惨状を見て心に何も響かない人はいますか。わずかですが、良心の呵責(かしゃく)がありました。

 許せない発言をした彼とけんか腰で言い合い「もういいや、このゼミ」と教室から抜け出しました。げたの音を鳴らしながら。

(聞き手は西日本新聞・山上武雄)

………………

 海老原靖芳(えびはら・やすよし) 1953年1月生まれ。「ドリフ大爆笑」や「風雲たけし城」「コメディーお江戸でござる」など人気お笑いテレビ番組のコント台本を書いてきた放送作家。現在は故郷の長崎県佐世保市に戻り、子どもたちに落語を教える。

※記事・写真は2019年07月09日時点のものです

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