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甲子園に立った孫の雄姿「もう自分なんて超えています」 - 朝日新聞デジタル

(20日、選抜高校野球 鳥取城北6-2三島南)

 「一番、ライト、斎藤君」。広い甲子園にアナウンスが響いた。

 「いいもんだな。うれしかったよ」。一塁側アルプススタンドに駆けつけた斎藤真澄さん(74)は、読み上げられた名前をかみしめた。自らもあこがれた甲子園。その舞台に今、孫の崇晃君が立っている。

 今大会に「21世紀枠」で出場した三島南。真澄さんは57年前の1964年に同校で主将を務めた。前回の東京五輪が開催された年だ。当時は練習で折れた木製バットを持ち帰り、釘を打って修理して使った。帰宅後は毎日200回、バットを振った。

 最後の夏は静岡大会を制した掛川西を相手に先制するも、逆転されて4回戦で敗れた。高校時代のすべてを野球にかけたが、甲子園は遠い夢の舞台だった。

 崇晃君が野球を始めたのは4歳の頃。キャッチボールを教えたのは自分だ。最初は怖がっていた孫が、その後、少年野球チームに入り、どんどん上達するのが誇らしかった。「いつか甲子園で応援できたらな」。たまにキャッチボールをして成長を感じるたびにそう思った。

 「甲子園にいくよ」。今年1月下旬、選抜出場が決まった日の夜に崇晃君から電話で報告を受けた。孫が通う母校は普通の公立校。創部100年の節目の年に春夏通じて初めての甲子園出場となった。「俺たちも行けなかった場所。悔いのないプレーをしてきなさい」と伝えた。

 高校時代の自分と同じ一番打者だ。「とにかく塁に出て、1点を取ることが一番打者の役目だ」。そう教えてきた。

 野球を始めた時から崇晃君の目標は「おじいちゃんを超えること。甲子園に出ることで超えたいと思ってきた。強豪校を相手にもてる力を出し切りたい」。この日は、その祖父が応援する前で二塁打を放ち、一打同点の好機をつくった。試合後、崇晃君は「一本打って、少しは恩返しができたかな」と振り返った。一番打者の責任は果たした。

 「甲子園に出たんだから、もう自分なんて超えています」。あこがれの舞台を駆ける孫の雄姿を見届け、真澄さんは感慨深げに語った。(戸田和敬)

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