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実家にはもう住み続けられないと思った女と、ぼろぼろの大きな屋敷に住む女が、出会った。王谷 晶「食う寝る処にファンダンゴ」#2-2 | 王谷 晶「食う寝る処にファンダンゴ」 | 「連載(本・小説)」 - カドブン

王谷 晶「食う寝る処にファンダンゴ」

※この記事は、期間限定公開です。

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 クリーム色の壁で囲われた狭い部屋は、簡素な机とパイプ椅子だけが置いてある。高い位置に小さな窓が一つあるだけで、あまりに殺風景だ。その中に、ユキ江と姫香はもう三十分以上も二人きりで座らせられている。
「なんなのかしら。お茶も出さないで、どうしてあたくしがこんな扱いを受けなきゃいけないの。肌寒いし、お腹もすいたわ。姫香さん、どうにかするように言ってきてちょうだいな」
「で、でも、ここから出ないで待ってるように言われました、し……」
 姫香はひそひそと小声でささやく。
 二人が今いるのは、最寄りの交番だ。結局どれだけ探しても姫香の財布は見つからず、ユキ江は最初から財布を持っていなかった。二人とも身分証も無く、携帯電話も持たず、そこで「悪質な食い逃げ」と判断した女将が通報してしまったのだった。さらに、やってきた警察官に住所と氏名を訊かれ「岸家のことを知らないなんて! ニセ警官に違いない!」とユキ江が騒いでしまったため、なぜか姫香も一緒に、こうして交番内の、何に使うのかは分からないが狭くて圧迫感のある部屋に連れてこられてしまったのだった。
 姫香は縮こまりながらも辺りをきょろきょろ見回す。ドアは普通のドアだし、ここはろうというわけではなさそうだけれど、このまま逮捕されてしまったらどうしようとそればかり考え不安になっている。食い逃げをするつもりは無かったけれどお金は確かに払えないし、罪を犯してしまったのかもしれない。
 机の上には、A4の紙と鉛筆が転がっている。住所氏名を書くように言われたが、まだ白紙のままだ。
「あの……これ、書かないと、だめなんですよね、やっぱり……」
「あたくしは書かないわ。あなた、書きたければ書けばいいでしょう」
 すっかり腹を立てている様子のユキ江は、ぷいと子供のようにそっぽを向いてむくれている。
 改めて見ると、ユキ江の派手な服装はこの部屋の中でひどく浮き上がって見えた。姫香の父方の祖母はとても地味で大人しいタイプのおばあさんだったし、母方の祖母は物心付く前に亡くなってしまったので会った記憶がない。ユキ江は、姫香がまったく見たことのない雰囲気のお婆さんだった。服装もそうだし、ドラマの登場人物のような言葉遣いも、初めて見聞きするものだった。
「お父様はこの街の発展にも尽力なさったのに、誰もかれも失礼が過ぎるわ。きっと警察の署長さんだって、あたくしが誰の娘か分かれば飛んでくるはずよ」
 姫香は紙と鉛筆をじっと見た。これを書いたら、たぶん、家に連絡が行くのだろう。そうしたら確実に、両親のどちらか、または兄が迎えに来てしまうだろう。そのことを考えると胃がギュッと痛んだ。
「あら、どうしました。もしかして住所思い出せないのかな?」
 ドアがさっと開いて、三十代なかばの女性の警官が入ってきた。紙が白紙なのを見ると、にっこり笑って中腰になりユキ江と視線を合わせる。
「お婆さん、ご自分のお名前は書けますか? 漢字が難しかったら口で説明してくれても大丈夫ですよ~」
 なんとなく、子供に言って聞かせるような優しくゆっくりした話し方だ。
「なんですの、不躾にお婆さんだなんて。あなたのような孫を持った覚えはないわ。人を年寄り扱いしないでちょうだい。名前もね、まずはそちらから名乗るのが礼儀というものじゃあないかしら?」
「あらら、すみませんねえ。ここ、名札見えますか? 私はかわゆみと言います。奥さんのお名前は……?」
「あたくし、誰かの奥さんでもありませんわ」
 ユキ江はさらにそっぽを向いて、もうほとんど真後ろを向くような変な姿勢になってしまった。
 警官の湯川は困ったような半笑いで姫香を見る。
「ご家族……でしょうか」
「い、いえ、ぜんぜん、他人で……あの、今日会ったばかりで」
「はあ。ご家族ではないんですか」
「は、はい」
 ユキ江では話がややこしくなると判断したのか、湯川は姫香に話の矛先を変えた。
「えー、通報したうどんの伊勢屋さんのお話だと、二人分の天ぷらうどんの代金を支払えず、警官にも暴言を吐いたということですが……何か事情とか理由があったんでしょうか」
「あ、あの、お財布、家に忘れてきちゃった、みたいで……」
「そうですか。最初から代金を払わないつもりでお店に?」
「い、いえ! そんなことは、そんなことはないです」
「じゃあお家の方に連絡したら、お財布持ってきてもらえますかね?」
 湯川の言葉に、姫香は頭が真っ白になりそうだった。いちばん避けたい方面に、どんどん話が進んでいってしまっている。いつもそうだ。姫香は自分の思い通りに人との会話を続けられた経験がない。どんな会話も、なぜか最後には姫香が損する方向でまとまってしまう。そんな風になりたいわけではないのに。
「あ、あの、お金無いままだと、た、逮捕されてしまいますか」
「支払う意志がない、ということですかね」
「ち、違うんです、でも、あの、家には、家には連絡しないでください!」
 振り絞るように言うと、湯川は首をぽりぽりいてンーとうなった。刑事ドラマのベテラン刑事のような仕草だ。
「何か事情があるんですか」
「事情、というか……」
「DVから逃げてきたとか」
「ち、違います。あの、迷惑かけたくないんです、私のことで……」
「しかし、それだと今日ここに泊まってもらうことになるかもしれませんよ」
 それは、やはり牢屋に入れられてしまうということなんだろうか。それは嫌だ、それは怖いと姫香は思った。ただひたすら、家族に迷惑をかけたくなくて家を出てきたのに、半日も経たないうちに、より迷惑をかける事態になってしまっている。
 自分が情けなかった。どうしてこんなに何をやってもダメで、家出ひとつうまくできないのだろう……。そう思いながら震える手で紙に住所と電話番号を書き始めた。

 一時間もしないうちに交番にやってきたのは、もっとも来てほしくない人物だった。姫香の兄のきよういちは湯川ともうひとりの通報されたとき店にやってきた警官に深々と頭を下げ、しかしいつも通り落ち着き払った声で「妹がご迷惑をおかけして申し訳ございません」と謝罪した。
「飲食店の方には先に寄らせていただいて、代金の支払いとおびをしてきました。本当になんでこんなことになったのか……」
 部屋から出され、交番の玄関のようなところで、姫香は京一に頭を摑まれ何度も何度もお辞儀をさせられた。
 子供時代から、何度この仕草を繰り返してきただろう。姫香が問題を起こしたときに、まず来てくれるのは母でも父でもなく京一だった。ごく小さいころから大人びたところのあった京一は、大人そのものの言葉遣いと態度で、何がどうして怒られたのかも理解できない姫香の代わりにいろんな人に謝ってくれた。そして今、とうに大人になっているはずの姫香の横で、また頭を下げている。
「家に帰るぞ」
 警察官たちが交番の中に戻ると、京一はすっと硬い表情になって、姫香の二の腕を摑んで引っ張った。
「で、でも、あの、私」
「なんだ。はっきり喋れ。なんか言い訳があるのか。なんのつもりか知らないが、まともに働けない奴が家出なんかしてどうするつもりだ。しかも財布部屋に忘れてくとか、ありえないだろ、常識で考えて」
「ご、ごめんなさい。でも、私、家には……家には戻りたく……」
「じゃあどこに行くって言うんだよ。これ以上母さんに苦労かけないでくれ。家帰ったらもう何も言うな。部屋にしばらくいろ。外出禁止だ」
「で、でも、私、いるとだめだと思う、家……。こ、今度こそちゃんとするから。仕事もちゃんと探すから」
「お前を雇ってくれるところなんてどこにあるんだ? もうな、父さんと話して決めたから。お前はもう外で働かなくていい。そのかわり、今から家事をしっかり覚えて家のことを完璧にこなせ。ゆくゆくは父さんと母さんの介護も始まるし、今のうちから準備しておけばお前も即戦力になるだろ」
「で、でも」
 喉の中に何かが詰まったようになって、姫香はどうしてもスムーズに言葉を出すことができない。
 そのとき、京一に引っ張られているのと反対側の腕が、ぐいっと何かに引っ張られた。
「お待ちなさい。その子をどこに連れて行くおつもり?」
 ユキ江だった。さっきのふてくされた顔が噓のように、きりっとしたたけだけしいくらいの顔で京一を睨んでいる。
「家族の問題なので、放してもらえませんか。こいつの面倒に巻き込んだのは申し訳ないと思っていますが──」
「面倒? 何の話かしら。姫香さんを連れ去られちゃ困るわ」
「はあ? どういう意味ですか」
「だって、この子は今日からあたくしが雇ったんですもの。うちのお手伝いさんよ。住み込みで働いてもらいます」
 えっ?と、姫香と京一が同時に疑問符つきの大声をあげた。

▶#3-1へつづく
◎第 2回全文は「カドブンノベル」2020年2月号でお楽しみいただけます!



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March 04, 2020 at 05:02AM
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