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朝乃山もう一人の恩師「バシ、スーパースターに近づいたな」…富山商・中村コーチ手記(スポーツ報知) - Yahoo!ニュース

◆大相撲春場所千秋楽 〇朝乃山(押し倒し)貴景勝●(22日・エディオンアリーナ大阪)

 史上初の無観客場所で、令和初の新大関・朝乃山が事実上、誕生した。一人大関の貴景勝を押し倒して11勝目。昇進目安の「三役で直近3場所33勝」には計32勝で届かずも、日本相撲協会審判部は内容を評価し、八角理事長(元横綱・北勝海)に昇進を諮る臨時理事会(25日)の開催を要請し、了承された。富山商高時代に故・浦山英樹相撲部監督(2017年1月他界、享年40)とともに朝乃山を熱心に指導した、もう一人の恩師・中村淳一郎コーチ(35)が、スポーツ報知にねぎらいの手記を寄せた。

 ※ ※ ※

 朝乃山関、いやここはいつも呼び慣れているバシ(本名は石橋)で。お疲れさま。これで、今も大切にしている浦山監督の手紙にある「横綱になれる。富山のスーパースターになりなさい」にも一歩近づいたな。一番の基礎を固めたのは浦山監督で、私が言うのもおこがましいけど、高校時代にやってきた右四つが、近大、高砂部屋で完成形になり、左上手を引くとお客さんが沸く。その姿を見ると、バシに稽古で胸を出せたことは本当にうれしいし、誇りです。母校の校訓「自主協調」「明朗誠実」「進取敢闘」、そして「愛と正義」のフレーズが本当に似合う立派なお相撲さんになった。

 バシはあまり表情には出さないタイプだったけど、監督に怒られた後は、たまに泣きそうな顔してな。相撲を辞めさせないように、「何で怒られたかわかるか?」と諭すように声を掛けていたのが懐かしい。今でこそ負けても、気持ちをパッと切り替えられているけれど、当時は真逆だったね。

 高校入学当初は大きくもなく、強くもなく。ちょっとぽちゃっとした子っていうイメージだった。でも、高2ぐらいから急成長した。今まで富山商で10年以上もコーチをして「指導」というより、一緒に「稽古」するという感覚はバシだけ。本気の稽古に毎日、両腕がパンパンだったよ。

 食は細い印象だったかな。でも手を抜かない性格だから「食え」って言われたら、黙々と食べていた。土、日の稽古後に、浦山監督が作る「塩ちゃんこ」には水ギョーザが入っていた。バシのご飯がすすむようにね。監督の愛情だった。高3では体の厚みだけでなく筋肉量も増えた。近大で今の岩みたいな感じになって、入門する頃には「足も腕も太いなあ」と、監督も驚くようになって、プロで活躍する姿を想像していた。

 場所中は絶対に連絡しないと決めているのに、今場所は連絡してごめんな。8日目、同期の豊山に負けた。テレビ画面越しに見たバシの姿に、「落ち込んでるんだろうなあ」と思い、耐えきれずに夜、LINEで「切り替えていこう」と一文だけ送った。集中しているんだから無視すればいいのに、「はい、切り替えて頑張ります」とちゃんと返してくれた。本当に優しいやっちゃなあ。あれで大丈夫だと確信した。

 やるからには、もうひとつ、横綱への階段を上ってほしい。まだ本場所の応援には一度も行けていないけど、朝乃山への大歓声を場内で聞くのは一つの夢。富山に帰って来る時ぐらいはスターの新大関・朝乃山ではなく、「石橋広暉」としてリラックスして、帰っておいで。待っています。

 ◆中村 淳一郎(なかむら・じゅんいちろう)1984年9月26日、富山・魚津市生まれ。35歳。朝乃山と同じ富山市立呉羽中。富山商高を経て中大に進学。大学2年時に全国選抜大学社会人対抗で個人3位。現在はアイシン軽金属の実業団選手として活躍しながら、08年から富山商でコーチを務める。家族は妻、娘2人。

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March 23, 2020 at 06:00AM
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