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「瀧がもう一人いれば……」電気グルーヴ、言葉にできない二人の関係 - 朝日新聞デジタル

63回。このインタビュー中に、石野卓球は、計63回「瀧」という言葉を発した。瀧とは相方のピエール瀧のこと。単純に計算すると、一時間のうち一分につき一回以上もその名前を口にしていることになる。

1989年に結成された電気グルーヴは、石野が高校時代に作った六人の固定メンバーを擁するバンド「人生」が前身となり、四人体制で発足。その後、メンバーを変えながら三人での活動が続くが、1999年の春からは石野とピエール瀧の二人体制に。約三年間の休止期間をはさみながら、2019年には三十周年(二人になって二十年)をむかえた。
 
人生の半分以上を共に生きてきた関係の原点は「友達」だが、石野いわく「ガワ(=関係性の意味)は後からついてきた」ものである。二人でいる、ということが常に先なのであって、その間柄につけられる名前や役回りには、プライベートでも仕事でもほとんど意味がない。相手に何かを期待するという概念すらないところからスタートし、長きにわたる年月と事実が作り上げたつながりの強さと太さは、一方が逮捕されるという事件にも揺らがなかった。そこには人間関係に求めるものとして最もシンプルで明快な答えがあった。

(文=那須千里 写真=南阿沙美)

共通言語は「音楽」と「悪フザケ」

「人が人間関係に望むのって、1と1を足して2以上になったらいいなということかもしれませんが、僕らが最初に会ったときは二人合わせて半人前だったんで」。ピエール瀧がこう語る二人の出会いは16歳のとき。お互いにYMOやクラフトワークといったテクノポップやニューウェーブに傾倒していたことから、地元の静岡で共通の友人を介して始まった関係は、当初から音楽とともにあった。

「瀧がもう一人いれば……」電気グルーヴ、言葉にできない二人の関係

石野 当時こいつは野球部だったし、俺はゴリゴリの帰宅部だったんで、もし同じ学校にいたら友達になっていなかったと思うんですよ。そんな二人の共通言語になったのが、音楽と、価値観。

ピエール瀧 音楽と悪フザケ。

石野 うん、悪フザケのノリが近かった。しかもその悪フザケのレベルが、正直なところ、瀧は未熟だったんですよ。瀧にとっては俺みたいな人間との出会いがカルチャーショックだったんですよね。

ピエール瀧 そうですね。僕からすると、学生同士のじゃれ合いの中で交わすようなやり取りが、なぜそんな悪事を考えつきますか!?と思うようなことをやっている地域のレベルのものだった。

石野 「人は裏切るもの、裏切られるほうが悪い」という価値観に基づいたやつですね。

ピエール瀧 それはもう世紀末の考え方じゃないですか。映画『マッドマックス』シリーズの世界でしょ?

石野 まさにそう! かたやこいつは言ってみればディズニーワールドから来たんです。俺からしてみれば、クラフトワークやYMOは中学時代に散々聴き込んでいたので、いまさらそれしきの刀でこっちの世界に乗り込んで来る!?ぐらいの印象だったんですよ。で、そのとき俺の中で最高の一曲だったNew Orderの「Blue Monday」を、かましも兼ねて瀧に聴かせたんでしょ? 俺は覚えてないんだけど。

ピエール瀧 そう。それを聴いた瞬間、何これ斬新! カッコいい!!となって、こいつの家に通うようになったんです。ほかにもいろんな学校のあぶれ者たちが集まっていて、レコードをカセットに録(と)ってもらったりするのが日課になっていったんですよね。それを高校の間ずっと続けていました。21時ぐらいに部活が終わってから行って、日付が変わるぐらいまでいたりして。こいつが家にいないときは、僕が先に部屋に上がって待ってましたもん。そこで宅録とかピンポン録音(二台のテープレコーダーを使った多重録音)で作った音を聴かせてもらったり、新しく手に入れたリズムマシンを鳴らしたりしながら、一緒に声を入れて遊んだり。

「瀧がもう一人いれば……」電気グルーヴ、言葉にできない二人の関係

石野 当時こいつは野球とニューウェーブを両立してたんですよ(笑)。同じ頃、俺はライブハウスでライブもやっていて。瀧は最初は客として見に来ていたんだけど、ステージとフロアの段差もほとんどないような空間だったので、メンバーの一人として「客席で暴れている役」みたいな存在だったんですよね。それならもうステージに上がっちゃえば?と。もともとが目立ちたがり屋で、注目を浴びるのが好きなんですよ。だから捕まったの?

ピエール瀧 目立ちたい一心で!(笑) 

石野 まあ、うちらの場合はそれが楽器を練習して披露するというバンドの形ではなかったけど、自分の中にあるパッションというかモチベーションみたいなものを、人前で表現したいという衝動はあって。自分たちでもそれをどうしたらいいのかやり方はわからずに、とにかくはっちゃけるというかね。

二人の間に流れるグルーブこそ創作の源

やがて石野は、後に演出家としても知られることになるケラリーノ・サンドロヴィッチ(通称ケラ)が率いていたバンド・有頂天の静岡ライブで自ら前座に立候補し、自作のデモテープを渡す。高校在学中にレコードリリースの打診を受け、卒業後に「人生」としてナゴムレコード(ケラ主宰のインディーズレーベル)からデビューすると、電気グルーヴになって二年後の1991年にはメジャーデビューを果たした。

石野 いま考えると、メジャーデビューした頃というのは、瀧をねたましく思った時期もあったんですよ。ズルい! ちゃっかりしやがって、というか。彼はいまだにそうですけど、バンドでいうギターやドラムみたいな専門の担当パートがないので、多分漫才コンビみたいな感じで「俺がネタを書いているのに!」みたいな思いが最初はあった。

ピエール瀧 でもそこで内輪でもめていてもどうにもならないし、デビューしてとりあえず前に進む方が先だったので。当時はもう一人のメンバー(CMJK、砂原良徳)がそれぞれ緩衝材になっていたところもあったし、ちょっと険悪になったりケンカすることがあっても、今ケンカしている場合じゃないなと。

石野 あの頃はまだ、俺が後ろで演奏して、瀧がフロントマンとして客と対峙(たいじ)してパフォーマンスする形も、確立していなかったしね。今の瀧のポジションというのは、俺にもある程度はできるけど、こいつほどはできない部分がやっぱりある。そう考えるとまあ、役割分担としてはトントンかなと。

ピエール瀧 僕もかつて機材を買っていじってみたことはあるんですけど、彼をそばで見ていると、やっぱりすごいなと思うんですよ。どんどん音楽が湧いてくるので。

石野 ウジ虫のように!

ピエール瀧 そう! ウジ虫のように(笑)。

「瀧がもう一人いれば……」電気グルーヴ、言葉にできない二人の関係

石野 こういう会話のやり取りが好きなんですよね。学生の頃はみんな当たり前のように友達同士でやっていたことだと思うんだけど、成長するにつれて、お互いに自分の生活や社会的な立場があるからできなくなる。でもこの二人の間では成長する必要がないというか、こういうやり取りをしなくなる=成長だとも思っていないというか。

ピエール瀧 この二人だとライフステージに沿ってモードを変える必要がないから、申し合わせるわけでもなく今でも自然にそれができるんです。

電気グルーヴの楽曲の歌詞は、一見ナンセンスな言葉遊びのようでいて、語感の響きやワードの並びからどこまでもイマジネーションが広がっていく。その世界は二人のこんなやり取りや、ピエール瀧の発するちょっとした一言から生まれてきた。石野はそれを「二人の間にある、言葉にできないグルーブを形にする」作業だと言う。

石野 二人の間で納得できるかどうか——その決め手が「面白いかどうか」だったりもするんだけど、自分たちの思っていることに反していないというのが基準です。偽善的なことがうちらにとっては一番ナシなので。思ってもいないことや本来の姿とは違うものを出すとか、実際よりもよく見せたり善人ぶったりはしたくない。

だけどさっきのウジ虫みたいなやり取りをそのまま歌詞にしても、それを聴きたい人がいないということは、さすがにうちらもわかるんです。ただ、ベースはウジ虫から発展させていく。それを最終的に蠅(ハエ)に成長させて、映えるようにする……インスタ蠅(笑)。

ピエール瀧 よくできた伏線でしたねー(笑)。この感じを言葉で説明しても多分伝わらないんですけど、うちらはそのノリをステージで「見せる」ことができるんです、こうしてじゃれているところを。

石野 あと、べつにわからなければわからなくてもいいというところもあります。「わからない」ことによる面白さも、うちらはアリだと思うので。

困ったときは「瀧がもう一人いれば……」

電気グルーヴが元メンバーの砂原良徳を含む三人で活動していた1994年、ピエール瀧は子供向けテレビ番組「ポンキッキーズ」(CX)にレギュラー出演が決まり、個人としても世間に知られるようになる。

ピエール瀧 僕が電気グルーヴ以外でいろんな場に出るようになったことで、電気グルーヴ内での僕の扱い方も、ある時期からシフトしたと思うんですよね。ないものをねだってもしょうがない、あるものでやっていこうという考え方に。それ以前は、電気グルーヴがバンドとして行き詰まりそうになると、「お前も何かアイデアを出せよ!」と言われることもあったんですけど。

石野 電気グルーヴの瀧というところだけで考えていると、多分ダメだったんだろうね。

ピエール瀧 僕としては、役者を始めたのもたまたま声をかけてくれる人がいて、面白そうだからやってみようという感じだったんですけど。自分自身で何かをやるというのはそんなに考えたことがないんですよね、今も。

石野 実は俺、瀧のよそでの活動っていうのを、そんなにちゃんと追ってはいないんですよ。初めて瀧が役者として出演した作品が放送されたとき、みんなでスタジオに集まって見たんだけど、その頃はまだ演技のつたなさみたいなものもあって、途中からもう恥ずかしくてたまらなくなって……(笑)。

ピエール瀧 まあ、そうだろうね(笑)。いつも化粧をしないお母さんが、今日化粧してる!というのに近い感覚だと思うんですよね。

石野 あーそうそう。そのトラウマから見づらくなったのもあるけど、そのうちに、二人でいるときに共有していることだけで十分やっていけると思ったんですよね。でも『凶悪』(13)は見た! 悪いヤツの役は見ても大丈夫。

「瀧がもう一人いれば……」電気グルーヴ、言葉にできない二人の関係

一方の石野も1995年にソロアルバム「DOVE LOVES DUB」を発表すると、DJとして海外での活動やレイヴイベント「WIRE」の主宰などにもフィールドを広げていく。その過程で、1999年4月に砂原が電気グルーヴから脱退するが、別のメンバーを入れる考えや機会はなかったのだろうか。

ピエール瀧 前身バンド「人生」の末期はバンド編成だったんですけど、そうなるとライブ用に曲をバンド編成で作らなきゃいけなくなっちゃったんですよ。ギターがいるからギターのパートを作らなきゃ、という発想になっていく。それが嫌で電気グルーヴではメンバーを減らしたので、砂原が抜けたときも、もしこれからサポートが欲しければ必要なパートをそのつど呼ぶことで解決しようというやり方に切り替えたんです。

石野 もともとシンセサイザーやそれを使った音楽に惹(ひ)かれたのは、それまでのロックバンドの形態とはまったく違うものであるというところが大きかったんです。DJカルチャーもバンドとは完全に別ものですよね。ただ、マインドの部分では、電気グルーヴは楽団=一緒に音楽を奏でるものという意識があって。バンドで楽器を「演奏」したり、ボーイズグループみたいにダンスで「見せる」方向だけじゃなくて、音を「奏でる」方向で表現できる音楽もある。石野卓球とピエール瀧の共同体として、最初に提示するものは、二人のキャラクターが奏でる音、というところなんです。

ピエール瀧 その二人の関係性の中に、新たに別の人が入ってくるというのは、もはや現実的じゃなくなったんですよね。

「瀧がもう一人いれば……」電気グルーヴ、言葉にできない二人の関係
石野 だから困ったときの一番の理想としては、もう一人瀧がいればな……って。リード瀧とサイド瀧! リードギターとサイドギターみたいに(笑)。

ピエール瀧 ハハハハ!

石野 この先解散の危機があるとしたら、別の瀧が見つかったときですよ、それは。

ピエール瀧 僕が逮捕されても解散しませんでしたからね。

     ◇◆◇

次回、事件後の電気グルーヴがその胸中を明かす。
(後編は12月4日に公開します)

プロフィール

電気グルーヴ
1989年、石野卓球とピエール瀧らが中心となり結成。1991年、メジャーデビュー。1995年頃より、海外でも精力的に活動を開始。2001年、石野卓球主宰の国内最大級屋内ダンスフェスティバル“WIRE01”のステージを最後に活動休止。それぞれのソロ活動を経て、2004年に活動を再開。以後、継続的に作品のリリースやライブを行う。2015年、これまでの活動を総括したドキュメンタリームービー「DENKI GROOVE THE MOVIE?-石野卓球とピエール瀧-」(監督・大根仁)を公開。2016年、20周年となるFUJI ROCK FESTIVAL‘16のGREEN STAGEにクロージングアクトとして出演。2020年8月、約2年半振りのシングル「Set you Free」をリリース。

〈HP〉http://www.denkigroove.com/
〈Twitter〉https://twitter.com/denki_groove_
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〈YouTube〉https://www.youtube.com/channel/UCCWOjSKmrRcVw6n6E1Zp_iQ

ライブ情報

電気グルーヴ、1年9ヶ月振りのライブ
“FROM THE FLOOR ~前略、床の上より~”
ファンクラブ会員限定で配信

「瀧がもう一人いれば……」電気グルーヴ、言葉にできない二人の関係

2020年12月5日(土)20:00より、電気グルーヴのファンクラブ(DENKI GROOVE CUSTOMER CLUB)会員限定のライブ「FROM THE FLOOR ~前略、床の上より~」が、ローチケLIVE STREAMINGで配信。

2019年3月にZepp Osakaで行われた「電気グルーヴ30周年“ウルトラのツアー”」以来、約1年9カ月振りの電気グルーヴのライブとなり、無観客で行われる。同公演は、配信終了後、12月8日(火)23:59までアーカイブ配信が視聴できる。

DGCC MEMBER’S TICKET : ¥3,600
視聴方法など詳細は、DENKI GROOVE CUSTOMER CLUBの会員ページにて。
ファンクラブへの入会は随時可能。
https://www.denkigroove.com/fanclub

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